#author("2022-12-11T16:19:44+09:00","default:art-gs","art-gs") #author("2022-12-11T16:21:37+09:00","default:art-gs","art-gs") [[崔子博]] 論文の要旨 制作の背景 2020年造形表現専攻の大学研究生入学以来、世界的なコロナ禍流行が始まり、人と人とのコミュニケーションが難しくなって、外出する機会も稀になりました。外で写真を撮る過程の中で、これまで気づかなかった風景にも気づきました。 私たちが住んでいる自然にとって、人間との関係はどのようなものか。 この流行が人類に与えたトラウマは、どのように治癒すべきでしょうか。 このような疑問を持って、私は写真の制作を始めました。 当初、九州近郊の小島から撮影が始まりました、島や海岸に対する認識があまりなかったため、私は人一倍、海への憧れが高いです。 海は人類の進化の原点であり、海を散歩し、友人たちと海岸で遊び、裸足で海に浸かります。 夕日が沈むのを見て、自分の考えが深くなりました。志賀島の中央、山があり、海を出て山道に沿ってゆっくりと歩き、真夏、山道の両側は緑が濃く、この雰囲気はまるで夢に中にいるようで、他の環境とは違う、気分も違う。 青い海から緑の山林まで、私の気持ちは大きく変わりました。 私たち人間として、何千年もの間、自然から何かを学んできました。山や川、湖、海洋、植物、岩、それぞれのものがどのように形成され、どのように私たちの心に影響を与えるか正確に何かを学んできました。 外的な特定の事物と、私たちの精神や夢はどんな関係を持っているでしょうか。私たちの精神と思考は、時時には変化し、壊れやすいので、波が海岸に消える泡のようです。夢境には、人間の最も真実的な気分と精神状を反映できると思います。 制作の理論 フロイトの精神分析学の理論は、「夢の世界は無意識が意識に混入してくるため、意識の側から無意識を理解するのに適している。ジークムント・フロイトは、夢とは抑圧されていた願望を幻覚的に充足することによって睡眠を保護する精神の機能であると述べました。」(引用1)この作品では、自分の内なる感情と外面の環境の関係を通して、自分の夢と潜在意識を表現したいと思います。この作品の制作を通して、自分自身を発見し、肯定したいと思います。この作品は、自然と人工の風景の撮影に焦点を当てており、外部の風景と内部の精神とのつながりを探っています。私の感想では、夢は美しいです、泡のような消えやすく、壊れやすいものです。人々が同じ場所にいて、各々が見ているものは違うと思います。私たちは現実の世界で人間の夢を投影することができると思います。その現実の中で自分の夢を再現したい。夢の写真を撮りたいです。 テーマは仏教の「金剛般若経」から「如夢幻泡影(にょ‐むげんほうよう)」仏語。この世のことはすべて、ゆめ・まぼろし・あわ・かげのようで、実体がなく空であるということ。という言葉で引用しています。幻の世界を創造したい、強い自己意識を表現したいです。夢幻泡影の意味を確認したところ、3世紀以前に大乗仏教の経典として成立した金剛般若経。402年には漢訳されたこの経典の最後に載っているのが、「夢幻泡影」の元になった一節です。その一節がこちら。「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし つゆのごとくまたかみなりのごとく まさにかくのごときかんをなすべし)」「この世のすべてのものは実体のない仮の姿でずっとあるものではないというのに、それをまことのものであり永遠であると勘違いすることから執着してしまう。すべては夢幻泡影だという観念を持たねばならない」(引用2)という教えです。簡単に言えば「世の中のものに執着しないためにも、すべては儚く消えてしまうものだと思っておくべきだ」(引用3)というところでしょうか。欲望と執着に満ちた現代の世界に住んでいる人間として、私たちは外のことに固執しすぎて、自己の内なる心を無視しているのでしょうか。仏教の経典は、世界がどのように認識されるべきか、唯物論に基づいて、内なる考え、とはいえ、世界に対する自分の認識、そして人間の思考が外の世界や自己にどのような影響を与えるかを教えてくれます。自分の夢の中のものを写真の中で表現したい、制作が始まりました。 制作の要旨 私の作品の基調は自分の夢境や外の環境のこだわりと思います。具体的に言えば、場所を選択することは最初に考えなければなりません。私は二つの分類を設置しました。一つは私が成長した故郷であり、もう一つは現在生活している日本の各地です。 故郷とは幼い時から生活しているところです。記憶は深いし、様々な思い出すことがあります。例えば、子の時よく遊んでいた遊園地、河岸、山、故郷の四季の風景を味わい、心の安寧と静けさを求める場所です。故郷は私の心の一面の浄土で、うるさい声がなく、空の塵がありません。青空は大太陽の光に満ちて、鳥の花の香りと清新な空気に満ちています。故郷は私の心の一面の浄土であり私の心の避難港のようで、私に帰属感を与えてくれます。 私の故郷は中国の北京にあり、家の近くに川が通っていて、北京の最も重要な川の一つで、潮白河という川です。この川は私の子供の頃に干上がったことがあります。当時私が一番好きなことは乾燥した河床で凧を揚げることでした。春にタンポポを探しに行って、吹き飛ばします。故郷は水の源であり、水の流れはどんなに遠くても振り返って見なければならない。故郷は木の根であり、木の葉がどんなに高くても葉を落として根に帰らなければならない。故郷は人の魂であり、人は異郷がんなに良くても童年を思う。故郷は橋で、心の中央にまたがっている。故郷は虹で、新旧の世界をつないでいる。故郷に対して複雑の感情を込めて、最初の場所を決めました。 もう一つは現在生活している日本の各地です。中国内陸で育った子供として、私は日本の学校に来るまで、湿気が少ない、乾燥の空気がある中国の北の方で生活していました。長い間故郷を離れたことがありませんでした。日本に来たら、2018年、2019年は関東地方の東京に住んでいました。2020年から九州地方の福岡に住んでいます。海洋性気候を初めて体験しました。以前に北京で体験出来ない事を感じました。私にとって、新しいライフスタイルが生まれました。日本で生活、旅行、新型コロナ流行の自粛など、色々な体験があります。自分の住む場所の変化から、新しい感覚や発想が生まれ、人生や社会、人間や自然についての新しい考え方が生まれてきました。 私にとって、自然の中で人間はどのような役割を担っているのか、外国人である私は、日本の環境からどのようなイメージや気付きを得ているのか。 そのような環境での私の作品は、確かに日本以外での作品とは大きく異なります。 つまり、ある環境がある種の作品を生み出すのです。 もちろん、もっと重要なのは、私の作品が中国と日本、祖国と異国の地に分けられていることです。 このような分類は、人間の過去と現在をそれぞれ表し、将来について、そして将来、人間がどのように発展し行動するかを予測するための、私なりの考察の結果なのです。人生という道を歩き、その道中で何を見たか。 みんなが感じていること、それが私の作品の意味です。 制作のこだわり 作品の第一部分、故郷の肖像を春、夏、秋、冬4つのサブタイトルに分けてみました。故郷の水辺には様々な風景があり、数え切れないほどの伝説や物語があります。 私はよく一人で、川のそばを涼みながら歩き、川の流れる音、草木を吹き抜ける風の音、遠くの枝でさえずる鳥の声に耳を傾けています。 季節の移り変わりは、風景の違いだけでなく、自然に対する気持ちの違いも感じさせてくれます。 自然は季節の移り変わりをとおして、世界は常に変化しており、人間の感情もまた常に変化していることを教えてくれるのです。 ただ、外の世界がもたらす興奮や感覚を感じられることだけは変わりません。 作品の第二部分、日本各地の写真を夢、幻、泡、影4つのサブタイトルに分けてみました。4つのパート内容は違います。夢は自分が好きな小さい島、志賀島です。幻は日本各地の様々な植物の写真です。泡は自分にとって構成が面白いと思える風景です。影は動物が主体になる写真です。この区分の根拠は、作品の豊かさと面白さを確保するためです。写真の内容が異なることで、異なる体験を与え、見る人がつまらないものを感じないように努力しています。私は様々なものを体験して、s感情を表すことができると思います。 11