LogoMarkWhite.png

伊藤晃生/白黒写真カラー化史関連人物 のバックアップ差分(No.7)


#author("2021-09-29T12:53:36+09:00","default:art-gs","art-gs")
#author("2021-10-05T22:42:12+09:00","default:art-gs","art-gs")
*白黒写真カラー化史の関連人物
History of Coloring Black and White Photography Artist
~
***目次
#contents2_1
~
~
**フェリーチェ・ベアト(Felice Beato)
#image(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c0/Felice_Beato.jpg,right,30%,"Felice Beato")
英名「フェリックス・ベアト(Felix Beato)」
1832年~1909年(79歳没) 写真家
1860年代、横浜で写真館を開き、数多くの民俗学的な写真を撮影し続け、幕末の貴重な写真を数多く残した写真家。今日に至って、横浜写真(彩色写真)を広めた第一人者でもある。
イタリア系英国人 写真家、起業家
 日本に手彩色写真文化を最も普及させた第一人者。
1863年、横浜で写真館を開業。波乱な幕末の世を撮影し続け、日本絵具で着色したカラー写真(横浜写真)を販売し、外国人旅行客によって世界中から写真が注目されるようにる。弟子には、手彩色技術を受け継いだ下岡蓮杖や日下部金兵衛もいる。
 このほかに「ジャパン・パンチ」でお馴染みの風刺画家チャールズ・ワーグマンとは、戦友関係でもある。度々、「ジャパン・パンチ」内でもデフォルメされたベアトが登場している。
~
[[もっと詳しい情報は、こちらへ>伊藤晃生/FeliceBeato]]
~
***生い立ち
1832年イタリア・ヴェニスに誕生し、2歳以降はイギリス保護領であったコルフ島(イオニア諸島合衆国、現:ギリシャ)で過ごしたとされている。その後、弟:アントニオ(Antonio Beato)と共に写真家への道に進んだ。
~
~
***東ローマ帝国(現:トルコ)で写真館開館
~
~
***写真家の助手ベアト
1856年、ベアト24歳の時にクリミア戦争の戦時下に4月~7月の3か月間、写真助手として派遣された。経緯としては、ベアトの隣人であり妹の結婚相手であるイギリス人写真家のジェームズ・ロバートソン(James Robertson)の誘いである。
当時、クリミア戦争を写真で記録し続けていた報道写真家ロジャー・フェントン(Roger Fenton)が病気に掛かってしまい、代わりとしてロバートソンが選ばれた。ロバートソンは過去に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現:トルコ・イスタンブール)で写真スタジオを開業するなどの経歴があり、造幣局で主席彫版師として国に仕えていたこともあって派遣されたとされている。
派遣から2年後、ロバートソンの誘いでベアト、助手として戦地に赴く。
~
~
***クリミア戦争の実績でイギリス国籍取得
~
~
***
~
***現在でも不明な事
-なぜベアト兄弟は、写真家になろうと思ったのか?
1851年、ベアト19歳の時にフランス・パリでカメラを25フランで買ったことが明らかになっているがそれが切欠だったのかもしれない。
-マルタ島に行こうと思った切欠は何か?
マルタ島でロバートソンと出会い友達になったようだがそもそもなぜマルタ島に向かったのか定かではない。
-
~
~
**日下部金兵衛
~
**玉村康三郎
~
**鈴木真一
~
**小川一真
~
**内田九一
~
**横山松三郎
~
**アドルフォ・ファルサーリ(Adolfo Farsari)
~
**ウォレス・ナッティング(Wallace Nutting)
~
**ロビン・レニー・ヒクス(Robin Renee Hix)
~
**エリザベス・レナード(Elizabeth Lennard)
~
**ヤン・ソーデック(Jan Saudek)
~
**リタ・ディベート(Rita Dibert)
~
~
~