ふるさと的景観における文化資源の再構成
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
デザイン領域 井上(友)研究室 二宮龍之輔
- Keyword:文化資源学、ふるさとらしさ、見立て、日本のラグジュアリー
CONTENTS
背景
日本の非都市圏では、過疎化や高齢化により、地域固有の文化が継承されにくくなっている。特に、何気ない日常の中に埋もれた文化的要素(慣習・風習・モノ・景観など)は、既存の「文化財」や「観光資源」としては認識されにくく、価値づけの対象になりにくい現状がある。
しかし、こうした「生活圏に潜む文化資源」は、地域住民の誇りやアイデンティティの源泉となり得るものであり、その再発見・再構築こそが、地域との持続的な関係性の再生に貢献する可能性を秘めている。
また近年、インバウンド観光を含む国主導の観光振興政策が進められているが、その多くは「分かりやすい文化資源」や「記号化された観光地」を中心に展開されており、観光資源が十分に可視化されていない地域との乖離が生じている。
本研究では、そうした地域に内在する「文化とも言えない文化」や「ふるさと的景観」に着目し、それらに新たな意味と価値を見出すことで、文化資源の再構築を試みる。
目的
本研究の目的は、生活圏に埋もれた文化資源を再発見・再定義し、それを新たな価値として提示するプロセスを明らかにすることである。特に、他者にとっては価値が見えにくい「ふるさと的景観」や「見慣れた風景」に宿る意味を、写真や語りといったメディアを通じて捉えなおし、既存の観光資源とは異なるかたちでの「価値の見立て方」のありようを探ることを目的とする。
方法
本研究では、以下の三つのアプローチを通じて文化資源の再構築を行う。
- 写真による視覚的記録(視覚の箱)
地域に残る何気ない風景やモノを写真によって記録・編集し、それらを「文化の断片」として提示する。写真は文化を媒介するメディアとして機能し、風景を新たな意味で見立て直す手段となる。
- ナラティブ・エスノグラフィによる語りの収集(記憶の箱)
地域住民への聞き取りを通じて、風景やモノにまつわる記憶や体験を言語化・物語化する。視覚的記録だけでは捉えきれない文化の内的意味を、語りという形式で補完する。
- マテリアル・カルチャー・マッピング(構造の箱)【補助的手法】
地域における文化的モノ(石、川、道具、建物など)を空間的・歴史的にマッピングすることで、文化資源がどのような構造の中に存在しているかを可視化する。ただし、アウトプットの特性から本研究では補助的な役割とする。
概要
私の研究では、「ふるさと的景観に潜む文化資源」を対象に、写真と語りをメディア(=容器)として活用し、再発見と再定義を目指しています。既存の観光資源や歴史的遺物ではなく、日常の中に埋もれた価値に着目し、それを地域住民の記憶と結びつけながら、「誇りとなる文化資源とは何か」を探ろうとしています。
論文構成
二宮龍之輔/論文構成/限定
スケジュール
Schedule
補足事項
メディアを容器として捉える
「おそらく、このことばの意味や理念や思想を論ずるだけでは、狭い意味での人文学にとどまって、資源や社会の考察へと拡がる動きが抜け落ちてしまう。であればこそ、「個室」という、もうひとつのカテゴリーを重ねあわせてみたい。その空間=場としての社会的な存在形態を見つめつつ考察することで、「個人」と向かいあう、新しいアプローチを説明してみたい。
私がここで探究の道具に使おうと考えているアプローチは、メディア論とも呼ばれている。
そこでいうメディアとは、つまり容れ物である。さまざまな素材の容れ物に、伝えられ共有される内容が入れられている。容器が内容を決定するとまで考えるのは単純だが、内容の意味だけが重要で容器など関係ない、という無自覚とは距離をおきたい。むしろ「個室」 という容れ物の存在形態のなかにインストールされている規定力の作用から、内容としての含みうるものの変容の、ディシプリンを超えた特質を読みこむ。これはある意味では、文化資源学の初発において掲げられていた、文化形態学の可能性でもある。」
(東京大学文化資源学研究室 編(2021) . 『文化資源学ー価値の見つけかたと育てかた』. 新曜社. p51. 第一部 第3章 文化資源学の作法――「個室」の成立と変貌に焦点をあてて. 佐藤健二.)
- メディア=容器の概念的特徴
- 「情報や文化を収納・保存する器」
「メディアとは、つまり容れ物である。さまざまな素材の容れ物に、伝えられ共有される内容が入れられている。」
例えば、写真は「視覚の容器」として、視覚情報を一定の形で切り取り・保存し、それを通じて過去や文化を伝えるメディアになる。
- 「意味や価値を詰め込む空間」
「容器が内容を決定するとまで考えるのは単純だが、内容の意味だけが重要で容器など関係ない、という無自覚とは距離をおきたい。」
その容器の中身は固定的ではなく、見る人や時代によって解釈が変わり得る。つまり、容器の中身は流動的で、多様な意味が内包されている。
- 「再解釈・再発見の場」
「容れ物の存在形態のなかにインストールされている規定力の作用から、内容としての含みうるものの変容の、ディシプリンを超えた特質を読みこむ。」
容器は単なる保存庫ではなく、文化資源の新たな価値を見出すための仕掛けとして機能する。
本研究では、佐藤健二氏が文化資源学において提示した「メディア=容れ物」という概念を参照し、写真や語りを「意味を内包し、文化を媒介する器」として捉える。これは、記録メディアとしての機能に加え、それ自体が文化資源の再構築を促す構造的装置であるという視座に立つ。
2025/06/21「アフォーダンスと民藝思想」
- 民藝思想との関連性
難しく捉えがちで、私自身いまだに知識を深められていない分野ではあるが、地域に内在する「文化とも言えない文化」に価値を見出していく行為の根底が、いわゆる民藝思想と通づるのではないかと考えている。
原研哉氏が、著書の中で以下のようにわかりやすく記述していたので、引用する。
''「民芸とは、用具の形の根拠を長い暮らしの積み重ねの中に求める考え方である。
石灰質を含んだ水滴の、遠大なる滴りの堆積が鍾乳洞を生むように、暮らしの営みの反復がかたちを育む。
川の水流に運ばれ研磨されてできた石ころのように、人の用が暮らしの道具に形の必然をもたらすという着想である。」''
(原研哉(2011) . 『日本のデザインー美意識がつくる未来』. 岩波書店. p49. )
人の長い暮らしの積み重ねで形成されていく。という点で、民藝は非常に文化資源の核をついているように思う。だからこそ、柳宗悦氏はその思想を体系づけて美の感覚と照合しながら理論化できたのであろう。
2025/06/21「文化資源かもしれないものの写真」
- 静岡県・熱海にて, 2025/05/09, 3枚
- 東京都内にて, 2025/05/08, 4枚
- 福岡県・八女市にて, 2025/05/04, 2枚
- 福岡県・久山にて, 2025/04/06, 1枚
- 福岡県・篠栗にて, 2025/03/30, 1枚
- 千葉県・成田空港にて, 2025/03/23, 3枚
- 東京都内にて, 2025/03/19, 1枚
- 岡山県・倉敷にて, 2025/03/09, 4枚
- 岡山県・吉備津神社にて, 2025/03/08, 1枚