デザイン総合研究 I
青木暁光
研究テーマ
研究テーマ
記録は誰のためのデザインか、写真・映像における一回性の記録と撮影者の自己変容
研究背景・目的
自身は趣味で写真や映像を古い方式のレンズで撮ったりしている。昨今の世の中では「映え」「エモい」などを意識してSNSで話題になった各観光スポット、カフェやレストランに赴きバズっていた投稿とほぼ同じ構図で撮影して投稿される。といったことを自分自身のSNSを通して散見される。また自身も始めたての頃は観光地に赴き投稿されたものと同じ構図で切り抜き投稿していた。しかし、数年前に某感染症の流行により外出の自粛やリモートでの授業参加を余儀なくされた。それにより遠方に赴き写真や映像を撮ることができなくなってしまい、他にできることはないのか探した結果毎日家の周囲をカメラを持って散歩するようになり、普段何気なく歩いている道路や川沿いの道にはたくさん綺麗な景色が広がっていることに気がついた。それらは観光地や映えスポットと称されるものに引けを取らないと感じている。また、自身の名前には太陽にちなんだ暁、光と言う漢字が入っている。幼少期から光が照る下で生きているもの動くものやましてやその光を発する天体にのめり込んだ。光や水は一様にして刹那的に違った表情を見せ、二度とそれとは出会えない一回性のものである。また、日常の一回性の記録は、撮影者にとって「観察」と「構成」の訓練の場であると同時に、「自己と時間との関係をデザインする行為」ともいえる。そのため本研究では、デザイン的視点から、日常の中に潜む一回性の瞬間をどのように見つけ、構成し、意味化するかを探りながら、撮影者自身の視覚的変容や心理的影響を明らかにしていく。
Fragment
- 海外ないし日本では古今東西美しいと思ったものを何かしらの形でアウトプットされてきている。主に平安時代であれば和歌、江戸時代には浮世絵であったりなどといった美しいと思ったものを何かしらの形で表現される事が常である。これらのように現代では主にカメラやスマートフォンで美しいと思ったものにシャッターを切りSNSへ投稿することが日常になった。しかし一貫して何気なく綺麗だと思ったものを何気なく形にするというプロセスを描くこの行動原理に対して疑問を抱いたのがきっかけ。
- シニフィアン、シニフィエ
研究テーマ候補
- 日常風景の美的価値とその記録行動に関する一考察
- 身近な景色を記録する動機と表現意識の変容
- 「映え」から「私的視点」へ:個人の映像記録に見る日常美の再発見
- 都市生活者における写真表現と日常空間の再解釈
- 写真による日常の一回性の記録
- 私的空間における美意識の変容
- 「そこにある光」を撮るという行為の意味論
- 「日常を切り取る」衝動の源泉を探る
- 私の世界を映す:身近な景色が美しく見える理由
- レンズ越しの心の記録
- 写真による日常風景の再構築
参考文献
中井正一「現代美学の危機と映画理論」
ロランバルト「明るい部屋」
スーザン・ソンタグ「写真論」
日本の美意識」の源流としての『神道的自然観』と『無常』
成果物の仕様
2025.05.26
Fragment
- 言語化するのはアナログデータをデジタルデータに変換するようなもので曖昧な概念を離散させて段階的にさせるもの
- 写真は言語化から対極に存在するもの
- 時代ごとに写真が持つ役割とは?
「記録から記憶へ」写真が紡ぐ家族史 ー 家族アルバムの役割と意義 ー
上記サイトでは時代の変容による写真が担う役割の変化について書かれている。
写真は本質的に記録するものとして機能しているが、アルバムなどを見ていると「記録」のような側面ではなく思い出という要素が加わり「記憶」として懐かしんでいると自身の体験から強く感じる
それに比べ、特に今の時代においてはスマートフォンやデジカメで撮影するようになり、写真というものはかなり個人的なものになってきているのに加え何かしらの形にするのではなく電子媒体に蓄積されていき形にする際に付随する懐かしむという心の動きが比較的に少なくなっているのではと感じた。
2025.05.20
デザイン的視点から見る写真の一回性の記録の研究テーマ案
2025.05.13
興味の洗い出し
写真や映像を残したくなるのはなぜ?
⇩
- 無常感と無常観が写真に影響を及ぼしているのでは?
無常感と無常観01
無常感と無常観02
『無常』の「常」とは、「常にそのまま」ということ、それに「無」がつくと、「常にそのままで無い」となるので「変化する」ということ。
常に同じのものは無いからこそそれを残して懐しんで、愛でたいから撮りたいという欲求を喚起しているのでは。
- 映る人たちそれぞれに存在する日常を映像や写真に納めたい
- 東京会議(小山薫堂出演の番組)
写真部の回、小山薫堂/松任谷正隆/ハービー・山口/藤堂正寛が出演しておりそれぞれ海外や身近なところに赴きスナップを撮って評価し合うという番組を見て改めて散歩や遠出をし、写真を撮ることがどんなに大切か認識させられた。
2025.4.22
Fragment
- 海外ないし日本では古今東西美しいと思ったものを何かしらの形でアウトプットされてきている。主に平安時代であれば和歌、江戸時代には浮世絵であったりなどといった美しいと思ったものを何かしらの形で表現される事が常である。これらのように現代では主にカメラやスマートフォンで美しいと思ったものにシャッターを切りSNSへ投稿することが日常になった。しかし一貫して何気なく綺麗だと思ったものを何気なく形にするというプロセスを描くこの行動原理に対して疑問を抱いた。
- 元来、なぜ人は感動したものを形として残したくなる心理になるのか
- まずは自分の撮った写真に対しなぜ美しいと思ったかの言語化が必要?
日本の美意識」の源流としての『神道的自然観』と『無常』