LogoMarkWhite.png

鐘秋月/論文·作品要旨 の変更点


#author("2022-12-12T14:02:49+09:00","default:art-gs","art-gs")
[[鐘秋月]]
***論文要旨
本論文は7つの方面から作品の制作完成過程を論述し、作品制作の背景、作品制作の目的、作品制作の方法、作品制作のプロセス、作品制作のインスピレーション、作品制作の説明、作品の最終まとめに分けた。
 第一緒、自然と人間の概念と関係から論述する。この部分では、次の3つの結論を得た。
(1)人間は自然界に属し、自然界に存在する
 人が自然界の産物であることと、人が自然界の構成部分であることの2つの意味が含まれている。人間は自然界の長期的な発展の産物であり、自然界に人間がいてから、人間は自然界の一部となり、自然界全体の発展に関与している。
(2)人と自然とのつながり、相互依存、相互制約の関係
 人と自然界は分離できない、孤立していない自然界から離れている人、同様に、人も自然界に反作用し、自然界を変え、自分のために新しい生存条件を創造する。一方、人は自然界に依存し、また自然界に作用する。人は自然界で暮らしている。つまり、自然界は人が死なないために付き合い続けなければならない人の体であり、同時に、人間の活動も必然的に自然界の姿を変え、自然界に自分の印をつける。
(3)人と自然の相互依存、調和統一
 人と自然の違いを強調する際にも、人と自然の調和統一、人と自然は相互依存、調和統一の非対抗的な関係であり、闘争関係ではないことを指摘した。地球は人間が生存する自然界に依存して構成されたシステムであり、システムのどちらかを離れると、システムはバランスを失う。
 第二緒は作品制作の目的であり、同様に人と自然の角度から、作品の「人」の表現方式を細分化した:人類の活動が残した古い痕跡と「もの」。人間活動のこの「遺留」の動作はまた人間の活動を伴っており、本論述は都市化の発展を人間の活動とし、自身の成長、学習過程における悟りを結合し、人間活動における「物事」と自然の変化との交流を作品制作の目的としている。 
 第三緒と第四緒は,個人の修士段階での作品制作実践過程から得られた撮影手法と表現手法である。大きな面から、まず撮影地の実地調査を行い、作品制作の目的が決定されているため、考察の際には、撮影ニーズを比較的明確に決定することができる。文献調査でも芸術家の創作インスピレーションが発見された。そして私は赤瀬川原平の路上観察学を通じて、人間の生活観察記録に対する以下の結論を得た。現在、私たちは多くの時間をかけて観察する必要はないが、すぐにインターネットを通じて様々な調査記録を検索することができるが、現在学の研究視点と方法は依然として人々に啓示と助けを与えることができる。ある程度から言えば、最も難しい点は、人々がどのように自分を生活に返し、社会に返し、どのように周囲の物事に対して永遠に好奇の目を持つかを学ぶことだ。そうしてこそ、人々は本当に個体の存在意義を発見し、生活の中の物事の存在価値をより自由自在に感じることができるのかもしれない。
 第五緒は作品制作のインスピレーション源だ。同時に作品制作実践における細部の認知学習でもある。川内倫子の作品は光影、構図、画像言語に非常に繊細で、私の写真学習全体に深い影響を与えてくれた。
最後の部分は、作品の具体的な説明と結語だ。撮影の手法と内面世界から撮影された写真と論題の関係を論じる。
本論文は以上の7つの部分を通じて、物と環境の交流、及び作品の制作の流れを述べ、写真を通じて人と自然の関係を表現することを目指している。

***作品要旨
私は田舎周辺の自然景観や人間の生活が残したものを撮影することで、物事と環境の交流を表現している。ずっと内陸に住んでいて、しかも都市化が進んでいるため、私の自然環境に対する鑑賞は旅行の時だけにとどまり、旅行期間の観察はいつも短いので、今回の作品が制作されるまでこのようなテーマを撮影したことはない。一昨年の冬、留学で福岡に来て、都市化と自然が両立している光景を見て、外国人としてここの環境や人の暮らしを知りたいと思う、本作を撮影した。
作品を完成させる過程で、私は島に行って撮影を行って、そして多くの面白い画面を発見して、多くの島民は心を込めて自分の家の窓の前と裏庭を飾って、またいくつかの古くなった家具と装飾物は周りの植物に絡まれて、島には欠かせない船と環境も融合している。高層ビルはないが、人々の生活は非常に豊かで、私の観点では、都市生活よりも快適だ。だから私はこのような生活環境を記録して、同時に人と自然が付き合う過程で相互の関係であることを感じだ。人間が自然から離れたのではなく、生産活動の進歩だ。一方で、何も決して独立しているわけではないと思う。捨てられた古い家具や、荒廃した家でも、新しい変化が起きるのは、自然のおかげだと思う。人間も同じで、決して孤独ではない。ある環境で新しいものを感じ、その新しいものがもたらす変化を感じる。